世界は、”静かな希望”の方向へ動いているのかもしれません。
国際情勢に詳しいわけではない私ですが、最近のアメリカ・中国、そして日本を眺めていて、不思議と「暗さ」よりも「希望」を感じるようになってきています。
アメリカでは、トランプ大統領に不満を感じながらも、それでも民主党には任せられない、という空気があるように見えます。
これは「誰かを強く支持している」というよりも、現実を直視する人物に任せたい という感覚に近いのではないでしょうか。
日本でも似た現象があります。高市首相には期待するが、自民党そのものには期待しきれない、という感覚。個人には光を見い出せるが、組織には重さ・暗さを感じてしまう。これは成熟した社会に共通する、ごく自然な感覚のようにも思えます。
一方、中国について考えると、「なぜあれほど大きな問題を抱えながら、焦っていないように見えるのか」という疑問が湧いてきます。考えてみれば、中国は“時間”を最大の資源として使う体制であり、習近平氏でさえ、その巨大な仕組みの中の一つの役割を演じているのに過ぎないのかもしれません。
そして、唐突ですがふと気づいたことがあります。中国の人々にとって、隣国が日本であることは、実は大きな希望なのではないか と。
日本は、”革命”を輸出しません。”民主主義”を押し付けず主張もしません。ただ、普通の人が、普通に暮らし、声高に主張しなくても、穏やかな生活が続いている国。それが日本です。
この「説明しない自由」「主張しない安定」は、旅行者である中国の人々にとっても、また分断に疲れたアメリカの人々にとっても、静かな逃げ場・安らぎの場になっているようにさえ思えます。
もはや世界を動かす力は、政治家や財界人の大きな言葉にはなく、庶民の生活そのもの中にある のではないでしょうか。
どんな朝を迎え、どんな距離感で人と接し、どんな速度で一日を終えるのか。その積み重ねが、思想よりも制度よりも、深く静かに世界に影響していく力を持ち得る。
日本が特別なことをしなくてもいい。ただ、無理をせず、普通に暮らし続けること。それ自体が、中国にとっても、アメリカにとっても、そして世界にとっても、明るい未来の一つの形を示しているのではないでしょうか。
そんな気がしてならないのです。