日常会話で「標準語」を喋る日本人なんて存在しない!?私が、お腹の中でニヤリと笑ってしまう“言葉のひみつ”(^-^)。

突然ですが、みなさんは「標準語(共通語)」にどんなイメージを持っていますか?

「教科書に載っている正しい日本語」「アナウンサーが話す美しい言葉」……そんな風に思われている方が多いかもしれませんね。

私は、趣味で「朗読」を嗜んでおりまして、日々「標準語のアクセント」に苦悶しています(そんなことはないか!?)。

私の生まれは静岡県浜松市(旧・引佐郡細江町)。温かみのある遠州弁(「〜だに」「〜もんで」など)がカラダに染みついていますから、この標準語の壁というのは、なかなかに厄介な代物なのです。

そんな時、私の頭(というかお腹の中)では、いつもこんな声が響いています(^-^)。

「……いや待てよ。日常会話で一文字の狂いもなく『完全な標準語』を喋ってる日本人なんて、本当は一人もいないんじゃないか!?」

実はこの直感、言語学の歴史を紐解くと、100%正しい大正解だったのです(^-^)。

■ 言語学者も認める「いい日本語」の基準

言語学者のあの金田一秀穂さんは、かつてラジオ番組でこんな素敵な言葉を遺されています。

「言葉って、みんなそれぞれが持ってるわけなんです。誰のものでもなくて、みんなのものなんです。(中略)“自分たちの日本語”が“いい日本語”なんです。」

出典:金田一 秀穂さん(言語学者)の「仕事とは?」|就職ジャーナル https://journal.rikunabi.com/p/career/23544.html

国の機関や専門家が「これが正しい日本語だ」と上から決めるものではない。今それを話して、目の前の人と心を通わせているその言葉こそが「いい日本語」なのだ、という温かい視点です。

では、私たちが日々レッスンで格闘している「標準語」とは、一体誰のために、何のために生まれた言葉なのでしょう?

■ 標準語の正体は「明治政府が作ったビジネススーツ」

結論から言うと、標準語は私たちが「楽しくおしゃべりするため」に生まれた言葉ではありません。明治時代に政府が作った「国家統治のための政治の道具」でした。

江戸時代までの日本は、藩ごとに言葉が全く違う「多言語国家」状態。薩摩(鹿児島)の武士と長州(山口)の武士では、会話がほとんど通じなかったそうです。 しかし、近代国家として軍隊を動かし、全国一斉に教育を行うためには、どうしても「全国共通のコード」が必要になりました。そこで明治政府は、当時の東京の山の手(お役人や知識人が住むエリア)の言葉をベースに、人工的な共通言語を作ったのです。

いわば、全国民に「同じデザインのビジネススーツ(あるいは軍服)」を着ることを義務づけたようなものです。

つまり、私たちが普段着のままでリラックスしている家庭生活において、あの堅苦しい「完璧な標準語」を喋っている人なんて、東京生まれ・東京育ちの人を含めて日本中どこを探してもほぼゼロ。みんな何かしらの地域ローカルな言葉や、世代の言葉という「普段着」を着て生きているのです。

■ 関西弁という「最強の普段着」への敬意

そう考えると、改めて脱帽せざるを得ないのが「関西弁の圧倒的な生命力」です。

明治政府が全国に「標準語」という強力なインフラを敷き詰め、多くの方言が標準語化していく中で、関西弁だけは独自の文化と誇りを保ったまま、今なお力強く主役を張っています。

なぜ彼らはあんなに強いのか?

  1. 「自分たちこそが千年の都(元祖・標準語)だ」という歴史的なプライド

  2. 「お笑い文化」という、テレビを通じて全国を侵略した最強の武器

  3. お役人の言葉ではなく、商人がお客さまと本音で繋がるために育てた「コミュニケーション特化型」のエネルギー

この3拍子が揃っているからこそ、関西弁は衰退するどころか、日本中で愛される「もう一つの洗練された言葉」として君臨しているわけですね。本当に羨ましくもあり、深い敬意を表したくなりますね。

■ 二つの衣装を着こなす愉しみ

ひるがえって、我が故郷の遠州弁。関西弁のような派手な押し出しはありませんが、東日本と西日本の境界線ならではのハイブリッドな味わいがあり、「聞いた人の心をホッと緩ませる」という点では負けないポテンシャルを持っています。

金田一秀穂さんのお父様であり、同じく言語学者だった金田一春彦さんはこう言いました。

「共通語は、いわば“背広”のようなもの。方言は“普段着(浴衣)”のようなもの。時と場合によって着替えればいい。」

日常で誰も使っていない標準語のアクセントに頭を悩ませる時は、「国家の都合で作られた便利な道具(背広)を、いま私は技術として着こなしてやっているんだ!」と、お腹の中でニヤリと笑ってみる(^-^)。

そして本番では、役者さんのようにスマートにその衣装をまとい、ひとたび舞台を降りたら、温かい故郷の言葉という普段着に袖を通す。

そんな風に「二つの引き出し」を使い分けられることこそ、生きた言葉を扱う朗読者の、何よりの贅沢であり愉しみなのかもしれませんね(^-^)。


みなさんの「普段着の言葉」は、どんな響きを持っていますか?

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