歴史の「うねり」と、言葉の「野心」。平野啓一郎さんの投稿に接して思うこと。

作家・平野啓一郎さんのFacebookの投稿を読みました。

今の政治状況に対する、鋭く、そして切実な批判。

「実績」よりも「得体の知れない期待」で選ばれる政治家への危惧や、文化・歴史を置き去りにした軍事一辺倒の「現実主義」への警鐘……。

そこには、知性を重んじる表現者としての、誠実な「叫び」のようなものが溢れていました。

平野啓一郎さんという個人に感じる親近感。そして彼が描く「あるべき世界の姿」には、一点の曇りもありません。

それは、時代を超えて社会をより良くしようとする、ある種「左翼的(?)な情熱」とでも呼べる、大きな野心に裏打ちされているようにも感じます。

しかし、一方で私は、身も蓋もない「人間の本性」についても考えてしまいます。

法律やルール、規範。それらは社会生活に欠かせないものですが、時として私たちの思考に「停止」を強いる装置にもなります。

悲しいかな、歴史の大半が証明しているのは、論理性よりも「野生(強いものが正義)」という力学が最後には勝ってしまうという、抗いがたい繰り返しの事実です。

平野さんの言葉が指し示す「高い理想」と、歴史が突きつける「剥き出しの現実」。

今、世界は大きなうねりの中で悲鳴をあげています。これまでの常識が音を立てて崩れていく。それは恐ろしいことでもありますが、破壊の先には、必ず光明溢れる未来が待ち受けているはずだ――。そうした「覚悟」を決めると、不思議と心が静かになります。

平野啓一郎さんの「理想という野心」をリスペクトしつつ、私は私の場所で、この激動の近未来を楽しんでみたいと思うのです。市井に咲く花にiPhoneを向け、古今東西のその日生まれの著名人の名言に耳を傾ける。朗読で言葉の響きを確かめ、自分の足で一歩ずつ歩く。

世界がどれほど騒がしくても、私たちが丁寧に紡ぐ日常の中にこそ、次なる時代を照らす小さな光が宿っている。そんな気がしてならないのです(^-^)。

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実は「世界平和」を願う”孤独な正義の男”の魂胆 ―― 一隅を照らす国、日本からの視点。

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